1980年代に学生の学生による学生のための旅行会社が存在した。
その名も「学生ツアー」
各種ツアーを企画・集客・実施するには今ほど規制が厳しくなく、大半が無認可であった。
旅行取扱主任者等は不在で、サークルの延長みたいな感じで、でも一応企業体で収益を追求していた。
当時の代表的な学生ツアーは、なんといっても「ナッツベリー」
あとは「ラブキャット」「メリールー」「オレンジペコ」「YGカウンティー」「POP」「ホワイトベア」
その後、ナッツベリー+メリールー+オレンジペコが合体して「バケーションシステム」という日本最大の学生ツアーが誕生し、ソノシート入りの豪華なパンフレットを作って話題になった。
その後「VACATION SYSTEM」の利益至上主義に嫌気が差したスタッフが分裂して「LEO」が誕生した。
ところで学生ツアーはスタッフ(添乗員)とメイト(客)によって構成されていた。
スタッフにも階級があって、上から駐在スタッフ>ヘッドスタッフ>平スタッフであった。
駐在はある程度金銭的にも恩恵が受けられたが、ヘッド以下はタダ働き。
まず登下校時間に合わせて「ツアーのチラシ配布=ビラ巻き」を駅前や女子高・女子大の前で行う。
「ビラ巻き」の回数が多ければ多いほどツアーの添乗回数も増えるが、ビラ巻きも添乗も一切ノーギャラ。
でも、ツアーにはたくさんの女子高生・女子大生・OLが来る。
それがおいしいので、スタッフは懸命にビラ巻きをした。
ツアーに添乗すれば、否が応でもメイトにチヤホヤされる。
オンナ20人に対してスタッフ1人の割合で添乗するからね。
そのへんの学生の下心をくすぐって、人件費ゼロのツアーが成立した。
しかしスタッフの掟は意外と厳しく、現地でメイトに手を出したら強制送還だったし、他の学生ツアーのメイトに手なんか出したら追放モノだった。
ところで学生ツアーは、なんといっても「格安」がウリであった。
その安さの秘訣は、上記のとおり「人件費がゼロ」なこと。
必要経費といえばパンフレットの印刷代と大型バスの手配料とホテルの仕入程度だ。
バスは補助席も使って定員目一杯の55人を詰め込み、部屋も8人~10人詰め込む。
どうしても集客が芳しくない場合は、格安だが違法の白バスを使った。
人件費ゼロなので格安ツアーが成立したが、後発参入組がダンピングしまくりの過当競争になり、人件費ゼロでも次第に儲からなくなってしまった。
そんな危うい学生ツアーであったが、ツアーそのものはすごく盛り上がっていた。
一番学生ツアーらしかったのは夜のディスコパーティーの合間に行われた「芸能大会」であった。
これは一種の隠し芸を駐在スタッフと添乗スタッフが行って、これがメイトに非常に受けた。
芸能大会には定番の芸がいくつかあった。
代表的なものが「軍艦マーチ」「金兵衛」「手品」「日本古来の拳法」「私はUFOを見た」「8時55分のニュース」「フォーリーブス」で、エンディングは当山ひとみ「So Many Time」
スタッフ全員が前に並び、多少臭いトークながらも各自がツアーの想い出を語り、メイトの涙を誘った。
感動して泣いたメイトの数はツアーの盛り上がりに比例したので、この瞬間こそスタッフ冥利に尽きた。
そしてパーティー終了後も部屋回りと称して一部屋一部屋くまなく回って、小話・手品・タコハチ・山の手線ゲーム等をして、ツアーの一体感を高めるために体を張って盛上げた。