DJじょんとらのルーツはジョントラボルタ。
そして翌年 1978年に「サタデイナイトフィーバー」の大ヒット!
そんなわけで、1977年から1978年にかけての新宿ディスコシーンを振り返ります。
GET
新宿南口と東口の間のパチンコ屋4階にあった名店。
「若者のプラザ」というコンセプトのもと、誰でも踊りやすいステップを数多く生み出した。
3時開店で入場料がワンドリンク付き500円と、サテンなみに安かった。
ソウルトレイン
GETの近くにあったDISCO。
ステップ多め。4時ぐらいからオープンしていた。
アップルハウス
不良女子中学生の溜まり場でガラ悪かった。
DJブースがカプセルになってて動くんだよな。
その後食い放題の焼肉屋になったけど、DJブースは残っていた。
振付多め。男よりも女の比率が高く、ナンパに最適だった。
ブラックシープ
アップルハウスのとなりにあった暴走族や家出少女の溜まり場。
暗くて怪しげな店内+ホワイトとレッドとダルマの混合?ボトルが悪酔いしやすかった。
特定のアーチストの曲を年代を遡ってかける「アーチストの歴史シリーズ」は踊っててわくわくした。
カンタベリーハウス三号館
三峰のウラでけっこう踊りの上手い奴の隠れ家だった。
ペルシャ館に改名された後は「元祖竹の子」の箱に変化し、末期は不良の溜まり場だった。
振付多め。可愛い子も多くナンパに最適だった。
カンタベリーハウスビバ館
以下はディスコビル「東亜会館」にあったディスコ。
ビバ館は東亜会館唯一の初期サーファー系DISCOで、中高生が多かった歌舞伎町の中では年齢層高め。
カンタベリーハウスギリシャ館
よく1000円で入ってメシだけ食って帰った。
ステップ少な目だが振付は多かった。
全体的に初心者向けで踊りのレベルは低かった。
シンデレラ
下からライティングされたフロアは最新式だったが、プラスチック製のためターンがしにくかった。
特にプラスチックの継ぎ目が踊るには邪魔だった。
見晴しの良いスタジアムのような椅子で、よく品定めをした。
インデペンデントハウス
実は私はここの常連でした。
可愛い子が一番多かったし、曲も適度にステップや振付け・ナツメロ・ピンクレディータイムと多彩。
さらに、はらたかしの「ムーチョマッチョマン」等 ディスコ歌謡のプロモーションもあった。
DJはもちろん「ジョイ吉野さん」で決まりだね!
tomorrowUSA
東宝会館の大型ディスコ。
チークタイムはフロアにカーテンが下りてきた。
フリー・ステップ・振付とバランス良く選曲も抜群。
フロアも広くて踊りやすかった。
スキャット
たぶん踊りのレベル(ファンキー)は歌舞伎町で一番高かった。
曲もファンキー主体で最先端というイメージだった。
ジャングルを流行させたのは、ここ。
チェスターバリー
水曜日は1000円で入れた。おかまダンス発祥の地。
ファッションディスコとも言われていた。
DJはダブルDJで、曲はミュンヘンバリバリ。
ミルキーウェイ
チェスターバリーチェーン。
有名女子大付属女子高生がたくさんいたのでナンパは易しかった。
他にもムゲン・ポップコーン・クレイジーホース・フルハウス等も行きましたが、よく覚えてません。
アダムスアップル
池袋にあった名ディスコ。生バンドも入っており、ステップ主体。
新宿からステップが消滅した79年以降も、ここではしぶとくステップが生き残っていた。
裏手でカツアゲが日常茶飯事であった、池袋西口ロサ会館内。
ガラは悪かったですが、地元だったので高校の帰りにメシ食いに行ってた。