中学卒業後、私は進学校ながら「自由な校風」で人気があった都立北園高校に進学した。
自由な校風は本当で、制服はなく私服で、かつ上履きと下履きの区別もなかった。
これは学校帰りに遊びに行くのには非常に都合が良く、そのまんま夜の街に直行できた。
そんなわけで、当時の自分のファッションも、おおよそ高校生らしからぬものであった。
極道すれすれの硬派ファッション・・・ニュートラ トロイの原色カーディガンや、もろ893スーツ。
ディスコ専用軟派ファッション・・・バギーやオープンシャツ等のヨーロピアンやコンチ。
オープンシャツに、銀の細身のネクタイを第2ボタンの下ぐらいでシャツの中に入れるのも流行った。
あと、不良はこれで決まり!みたいな組み合わせがあった。
今思えば「ださーっ」って感じだが、ツータックのバキーにJUNのTシャツを合わせる!
しかも、黒+金のロゴやワインカラー+金ロゴで、ベルトはメッシュ。
他にも「SOUL TRAIN JUN」という、もろディスコ的なロゴのTシャツもあった。
そんなイデタチで遊びに行く所は、もちろんDISCO!
ディスコじゃなくて「ディスコティック」だな、やっぱこの頃のリアルな響きは。
この頃よく行ったのは歌舞伎町東宝会館の大箱「tomorrow USA」
さてディスコダンスの方だが、少しづつ踊り方を覚え、知ってる曲も増えていった。
あと、高1の文化祭で教室に機材を持ち込んでディスコをやったら、周辺の不良も集まってきて大盛況。
これがきっかけでクラスメイトほぼ全員がディスコ好きになり、誰かがニューステップを仕入れてきたら、昼休みか放課後にみんなで教え合って共有するようになった。
そんな恵まれた高校の環境だったのも、ディスコの敷居をさらに低くした。
自分はなんといっても、前行った時よりひとつでも多くのステップが踊れることが快感だった。
この前はフロアの後ろの方だったのに「今日は前の方にいるぜ」というのがダンスの進歩の指標。
もっと上手くなると、最前列のミラーの前を陣取るようになる。
ここまで来ると、いろいろな女の子から声をかけられるようになる。
進学校で周りはメチャ頭がよく、私の通信簿は赤点ばっかりだったけど、ディスコではキング!
勉強以外のそういうことが自分の自信にもつながっていった。
この頃はステップがたくさんあったので、ひとつひとつ覚え甲斐があった。
それに、当時はまだ16歳でナンパする度胸や話術はまだなく、純粋にステップを覚えることが楽しかった。
でもステップが踊れるようになると、歳上の女性から逆ナンパされてましたけど。
とはいえ、まだディスコ自体に後ろめたさを感じていたので、親や先生にバレないように密かに月2回程度。
大学祭のディスコなら昼間なので、バレてもどってことないので行きまくりました。
「ホンモノのディスコに行きたいけどなかなか行けない」
それが高校生のホンネだったと思います。
そんなわけで、当時は高校生でディスコに行ったことがあるというだけで「とんでもない不良」というレッテルが貼られる反面、同世代からは「大人の遊びを知ってる」ということで一目置かれたものです。