MY DISCO STYLE 1981

学生ツアー バケーションシステム ナッツベリー レオ LEO メリールー ディスコ DJじょんとら YGカウンティー ラブキャット 与論
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1981年・・・この年はサーファーディスコが最も一般的になった年でした。

曲はシャラマー・ウイスパーズ等 ソーラーレーベルを中心とした、口ずさみやすいファンクが流れている。

あとはリックジェイムス、BBQバンド、シェリルリンにカメオ。

今のダンクラシーンでヘビーな曲は、ほとんどこの頃の曲といっても過言ではありません。

私は1年間の浪人生活を終え、「渋谷という立地場所」で選んだ男女共学の大学へ進学。


冬はスキー・夏はサーフィンみたいなSURF & SNOW系の同好会に入った。

スキーは岩岳が同好会のメッカで、190cmのATOMICの板・TYROLIAのビンディング・NORDICAのブーツ。

波乗りはGODDESSのトライフィンで七里ヶ浜・鵠沼・辻堂・茅ヶ崎あたりをウロチョロ。

学生の間で人気急上昇中だったウインドサーフィンを初めてやったのもこの頃。

(波乗りはやめましたが、ウインドは今でもやってます)

日常のサークル活動は、形だけのトレーニングと飲み会で、二次会はディスコ。

サークル全員で行くから人数にして30人~40人の束でスクエアビルに行く。

でもいっしょに行っても、踊りはヘタクソだし、ただひたすら騒いでるだけでつまらない。

踊りもフリーというか、ワンパターン鶏踊り(ジゴロ)オンリー。

曲も同じようなのが延々と続き、踊っていても昔ほど楽しくなく、ただ疲れるだけ。


そんなわけで、自分にとっては「今さらディスコ?」と心のどこかで冷めていきました。

その頃、六本木に客を取られて廃れていた新宿のディスコが、六本木に対抗せず「中高生」にターゲットを絞って、六本木とは全く違う選曲で盛り上がっていました。

ミュンヘンサウンドに似たキャンディーポップや曲ごとのステップや振付など、70年代と似たノリがむしろ私の体になじみ、新宿に出戻った時期もありました。

 

ディスコに行くだけじゃ飽き足らなくなったので、仲間とディスコで金儲けしようって話になりました。

具体的には大学祭ディスコの出前。

自分は高校3年から大学祭ディスコビジネスのスタッフだったので、ノウハウはバッチリで話は早かった。

まずは、使い回しが利くようにミラーボール・パトランプ・可変式ストロボ等の照明一式とマイクやミキサー等DJ機材一式と壁に貼る銀紙を買い揃えた。(オーディオ一式は高くて保管場所もないので自前)

あとは知人や知人のツテを伝って、その人に紹介料と売上マージンを支払うことで名義を借り、自分の大学以外の人気大学の大学祭にディスコを出店しました。

稼ぎ頭の早稲田・学習院・東大・日大・跡見・國學院等、毎週どこかの学園祭にディスコを出店し、全部で300万円近い純利益を稼ぎ出して幹部3人で山分け。

もうひとつの柱はダンパで、ディスコを貸切って200人程度集客したら70万円ぐらい稼げました。

このように、ディスコイベントビジネスは「楽しくて儲かる」ので病みつきになったが、一方では「友達を利用して自分だけいい思いをしている」と批判され、多くの仲間を失いました。

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当時の流行先端スポーツ ウインドサーフィン