学生ツアー その3

学生ツアー バケーションシステム ナッツベリー レオ LEO メリールー ディスコ DJじょんとら YGカウンティー ラブキャット 与論

駐在員はつらいよ

傍から見れば華やかな学生ツアーのスタッフだったが、駐在員は汗まみれの肉体労働であった。

まず朝、ツアーバスを出迎えるために早朝5時に起床。

バスが着いたら添乗スタッフに指示し、各ペンションに送迎させて部屋割りとチェックインを行う。

朝飯をスッパ食いした後はレンタルスキーのビンディング調整を行い、スキースクール。

まるで初めての子「まるは」を教えるのが一番難しいので、駐在はこのクラスを受け持つ。

「まるは」は慣れるまでは立つことすらできないし、キックターンも90%ぐらいは転ぶ。

リフトも上手く乗れない子が多いので、板とストックを数セット持ってあげたりと手取り足取りの状態。

特に初日は鬼のような肉体労働が続き、どんなに寒い日でもウエアの中は常に汗だくだった。

戦争のようなスキースクールが終わったら、次のツアーに備えて様々な現地手配業務を行う。

諸手配がやっと終わったと思いきや、夜は夜でディスコパーティー。

司会兼DJ・芸能大会・パーティー終了後部屋回りで、終わるのがAM1時ぐらい。

やっと就寝につけると思いきや、その後はペンションのオーナーに付き合わされることも多々あった。

与論はスキーツアーと比べると昼間が暇なのでのんびりしていられたが、ツアー客が到着するたびに与論献奉に付き合わされ、有泉漬けでグロッキーになる日々だった。

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業界から足洗って堅気に転身

一方「学生ツアー」で広がる女子人脈を最大限に利用していた「学生集客斡旋ビジネス」

この頃は芸能プロダクションにも筋ができ、自らもテレビや雑誌に出演するなど業界ドップリだった。

和田アキ子・山田邦子・堀ちえみ・早見優・タモリ・所ジョージ・西川きよし…(敬称略)

一流芸能人と共演する時は、異常にテンションが上がって楽しかったなぁ。

日々の生活も、ちまたの学生が時給500円程度のバイトで貧乏暇なしなのを横目に、電話一本で@10,000円近く稼げる斡旋ビジネスの恩恵で、学生のわりには非常に羽振りが良かった。

テレビや出版社側からも、たった1日で100人近く女子を集められるとして重宝がられ、女子もテレビ等に出られるとなるとタダでも来るし。(まぁ平たく言うとギャラのピンハネなんですけどね)

 

このビジネスを続けられたのは、ひとえに学生ツアーで「新規女子大生」を日常的に開拓できたことだ。

楽に儲かるので大学卒業後も続けるかどうか迷ったが、過当競争で薄利多売になった上、円高が進み国内旅行需要に陰りが出始めるなど、人脈開拓の要である「学生ツアー」の雲行きが怪しくなってきた。

したがって、女子大生人脈もこの先ジリ貧と読んで、サッと辞めてふつうのサラリーマンになった。

年収は半分以下になり仕事もつまらなく、しばらくは足を洗ったことに後悔していたが、次第に学生ツアーはジリ貧になり、さらにバブルも弾けスキーブーム・南国ブームもろとも去った。

私はタイミングよく手を引いて正解だったが、さらに手を広げた人は負債を抱えて大変だったらしい。

あれだけ賑わっていた与論島が、いまや廃墟だらけになってしまったことがこのことを象徴している。

とは言え、当時の派手な日々をを思い出すたびに、また起業したくなってウズウズする。

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一方、学生ツアーで桁違い一方、「学生ツアー」で桁違いに広がる女子大生人脈を最大限に利用していた「学生集客斡旋ビジネス」

この頃は芸能プロダクションにも筋ができ、自らもテレビに出演するなど業界ドップリだった。

大学卒業後も続けようかどうか迷ったが、円高が急激に進み国内旅行需要に陰りがあったので、人脈新規開拓の要「学生ツアー」がこの先続かないだろうと読んで、サッと辞めてふつうのサラリーマンになった。

その後、国内旅行(学生ツアー)はジリ貧になり、さらにバブルも弾け、スキーブームも去ってしまった。

私はタイミングよく手を引いて正解だったが、さらに手を広げた人は負債を抱えて大変だったらしい。

とは言え、当時の派手で羽振りのよい日々をを思い出すと、また起業したくなってウズウズする。


一方

一方、「学生ツアー」で桁違いに広がる女子大生人脈を最大限に利用していた「学生集客斡旋ビジネス」

この頃は芸能プロダクションにも筋ができ、自らもテレビに出演するなど業界ドップリだった。

大学卒業後も続けようかどうか迷ったが、円高が急激に進み国内旅行需要に陰りがあったので、人脈新規開拓の要「学生ツアー」がこの先続かないだろうと読んで、サッと辞めてふつうのサラリーマンになった。

その後、国内旅行(学生ツアー)はジリ貧になり、さらにバブルも弾け、スキーブームも去ってしまった。

私はタイミングよく手を引いて正解だったが、さらに手を広げた人は負債を抱えて大変だったらしい。

とは言え、当時の派手で羽振りのよい日々をを思い出すと、また起業したくなってウズウズする。

DJじょんとらは、70年代~80年代のダンスクラシック・ディスコイベントのDJです。

昭和36年 下落合生まれの大塚育ち、その後は横浜の鶴見・東戸塚・現在は岐阜に移住中の56歳。

ディスコデビューは中3(1977年3月)で、1977年〜1979年までは新宿・1979年後半〜1983年までは六本木にドップリ浸かり、1984年以降はディスコは卒業しましたが、イベントDJは未だに続けています。

DJデビューは高3(1979年5月)で、得意ジャンルは

・1974年〜1977年のソウル・ステップディスコ系

・1977年〜1979年のミュンヘンディスコ系

・1979年〜1982年のキャンディーポップ系

・1979年〜1983年のサーファーディスコ系

曲の流れやつなぎはもちろん、トークも昔っぽく再現するのが持ち味です。