HISTORY OF DISCO - 6

当時のDJスタイル

ディスコ全盛期の1977年から1982年にかけて、当時のDJはどのように曲をオンエアしていたか回顧します。
まず1977年。この頃は今と違って「ツナギ」や「BPM(曲の速さ)」といった概念は全くなく、ラジオのディスクジョッキー同様、曲と曲の間は「しゃべり」でつないでいました。
ミキサーがないディスコもあったので、そういう所は曲と曲の間に7-8秒「間」が空き、その音なし部分での「ざわめき」が当時のディスコらしさでした。
「次は何がかかるかな?」「○○かけてよ!」等の声でダンスフロアでざわめき、「プツッ」って針を落とした音がして「ワクワク」してきて、曲が始まると「ドワーッ」と盛り上がる……
こんなアドレナリンが70年代らしさでした。
80年代ディスコイベント出張DJ派遣DJ岐阜愛知大垣各務原

盛り上げトーク(MC)の時代

1978年以降はミキサーが一般的になったので、さすがに曲と曲で間が空くことはなりましたが、あいかわらず「しゃべり中心」でつなぎました。

何をしゃべっていたかというとこれもパターンがあって

 

1. 曲名

2. アーチスト名と過去のヒット曲 「○○のヒットでお馴染み ××のニューシングル」みたいな感じ

3. 収録されているアルバム名とレコード会社名

4. ビルボードヒットチャートのランク順位 「R&Bチャート赤丸急上昇中」とか

5. プロデューサー名

6. 店内システムの紹介 リクエスト方法・フリードリンクフリーフード等

7. DJの自己紹介

8. 盛り上げ用の相槌 「手拍子!」「歌ってね」「ショーターイム!」「フーフー」等

 

ディスコのDJは、ダンスフロアを盛上げてナンボの世界だから、いくら曲をたくさん知っていたとしても、トーク(MC)ができないDJは失格でした。


80年代ディスコイベント出張DJ派遣DJ岐阜愛知大垣各務原

BPM重視 キレイなツナギの時代

しかし、1979年夏以降は様相が一変。

しゃべり無しのツナギ重視スタイルに変わりました。

この頃よりBPMが必要不可欠になり、同じような速さや曲調の曲を、ミキサーとターンテーブルを巧みに操って、きれいにかぶせていくスタイルが主流になりました。

客はどこで曲が変わったのかわかならい。

ツナギがうまいと「おっ!!」とどよめきが起こる。 逆にミエミエのツナギや、不自然なツナギだと「下手クソ」ってことでブーイングが起きる。

MCが上手いだけのDJは淘汰され、「リズム感・センス・曲の知識」の三拍子が備わったDJが台頭しました。

また、ツナギテクニックそのものも今の高性能ターンテーブルとは違い、トルクが弱い機材が多々あったので、拍数を逆算してスイッチをオンにしたり指先でターンテーブルを押したりする必要がありました。

音源がアナログのためイントロと間奏でBPMが違うこともあり、つないでいる最中に両方のレコードの中央部分を押したり引いたりしてテンポを微調整する必要があり、「手先の器用さ」も重要でした。

80年代ディスコイベント出張DJ派遣DJ岐阜愛知大垣各務原

このツナギは「ワンパターン」の選曲に陥りやすいものです。

同じようなBPMの同じような曲をつなげていれば、確かに自然だし綺麗だし聴いている分には心地よいが、踊っている人は変化がないと飽きますよね。

だからずーーーっと延々と綺麗につないでいるだけは脳がなく、メリハリが必要になってきます。

BPMも少しづつピッチを上げて「より速めの曲」へシフトしていくとか、たまにカットイン+MCで曲調を変えるとか、そういう客を飽きさせないセンスの有無が、一流・二流の分かれ目でした。


DJじょんとらは、70年代~80年代のダンスクラシック・ディスコイベントのDJです。

昭和36年 下落合生まれの大塚育ち、その後は横浜の鶴見・東戸塚・現在は岐阜に移住中の56歳。

ディスコデビューは中3(1977年3月)で、1977年〜1979年までは新宿・1979年後半〜1983年までは六本木にドップリ浸かり、1984年以降はディスコは卒業しましたが、イベントDJは未だに続けています。

DJデビューは高3(1979年5月)で、得意ジャンルは

・1974年〜1977年のソウル・ステップディスコ系

・1977年〜1979年のミュンヘンディスコ系

・1979年〜1982年のキャンディーポップ系

・1979年〜1983年のサーファーディスコ系

曲の流れやつなぎはもちろん、トークも昔っぽく再現するのが持ち味です。

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