ディスコのメンバーズカード

ディスコ全盛期、歌舞伎町や六本木の街角では、「メンバーズカード」という名の割引券が夜な夜な配られていました。

そんな懐かしのカードをご紹介します。

 

「カンタベリーギリシャ館」 ギリシャ館 当時はみんな持っていた赤いプラスチック製のカード。

これを持っていると、平日で1900円 週末は3000円でフリードリンクフリーフード  ウイスキーやビールは別料金。

 

「カンタベリービバ館」 ビバ館

ギリシャ館と一体版ですが、ビバ館単体のカードは青でした。

そのビバ館はツウ・中上級者・地元モノが多く、1979年にはサーファー系になって客層も大学生が多かったです。

 

「カンタベリーペルシャ館」 ペルシャカンタベリーハウスⅢ号館という店名で三峰のウラにありました。

ペルシャ館と命名されたのは1979年になってから。

元祖竹の子族発祥の地とも言われ、他が輪になって踊るのが禁止になってからも、しばらくは黙認されていました。

 

「シンデレラ」 シンデレラサタデーナイトフィーバーのマネをした、下から光るパネル式のダンスフロアが超画期的で、当時は最先端の箱でした。

フロアを見下ろすように設けられた客席はガールハント(死語)には最適でしたが、テカテカ光る照明効果のおかげで誰でも可愛く見えてしまう、というか、顔がよくわかりませんでした。

 

「インデペンデントハウス歌舞伎町店」 INDE

他のディスコがビルボードのヒットチャートを追っかける選曲だったのに対し、インデはけっこう古い曲がかかり、一昔前から遊んでいた人にとっては「懐かしい感じ」がありました。

新人歌手のプロモーションも盛んに行われ、はらたかしやパッショナータもここで初めて生で見ました。

 

「インデペンデントハウス吉祥寺店」

インデ吉祥寺インデペンデントハウス吉祥寺店のカード。

場所柄三多摩地区のお嬢様が多く、周辺はレベルが高い高校が多かったので、「スティディーなカノジョ」を作るには最適でした

 

「ブラックシープ歌舞伎町店」

BS2

地下にあって暗くて狭くてガラが悪いディスコでした。

ダンスフロアはソウルトレインのようなパイプの手すりが配置され、2段程度の段差がありました。

 

「アップルハウス」 APPLE HOUSE

生バンドが入っていた時期もあり、店内には大きなステージがあり、円盤型のDJブースがありました。

ダンスフロアは吹き抜けになっていて2階から品定めできましたが、この2階席はVIP席みたいな感じになっていました。

 

「ゲット」

GET新宿駅南口の雑居ビルの4階にあった名店で、なんと午後3時からオープンでワンドリンク付き500円!

ユニークだったのは毎週水曜日の「R&Bソウルオールディーズ」

他では絶対かからないようなモータウン・フィリー・70年代中盤のステップディスコオンリーでした。

 

「ツバキハウス」

ツバキハウス1979年後半から1980年夏にかけて流行したテクノディスコ。

その最先端を行ったのが、今回ご紹介するツバキハウス。

ミーハー選曲が中心のカンタベリー系列の中で、この店だけは非常に異端で、客層も曲も他と比べて明らかに違いました。

 

「サーカスサーカス」 サーカスサーカス テクノディスコといえばこの店もそのひとつ。

一世を風靡したYMO・シーナ&ザロケット・プラスチックス・ジューシーフルーツ等のヒット曲はここから生まれたが、ツバキハウスほど客層が飛んでおらず、普通の子が多かったです。

この店は非常に短命で、すぐ「GBラビッツ」に変わりました。

 

「ミルキーウェイ」

ミルキー 歌舞伎町のディスコといえばコマ劇場周辺が有名だが、その裏の方にもいくつか名店があり、特にこのミルキーウェイは穴場!

この界隈には本家本元チェスターバリーの他に、スキャット・クレイジーホース・ポップコーン・ムゲン等の名店が連ねていました。

東亜よりモナミビル!とのたまう人は、相当遊び人でしょうね。

 

「ビッグトゥゲザー」 ビッグツゲザー

「踊るパブシアター」というキャッチーなコピーが泣かせます。

とにかくキャパが大きく、平日はさすがに広―いダンスフロアが埋まりきらずにちょっと寒かったです。

80年代に、あの伝説の「ZENON」に変わりました。

 

「トゥモローUSA」 tomorrowUSA2

星型の天井・チーク時にカーテンが降りてくるダンスフロア・最新の音響システムに最新のサウンド・流暢なDJ・・・

東亜会館が盛り上がってくるのは1978年なので、1977年まではここが入門ディスコでした。

 

「カーニバルハウス」 カーニバル これは「tomorrowUSA」の閉店後にオープンした箱。

この頃のディスコシーンは六本木に移行し、新宿は子供の遊び場と化し、平均年齢は15-16才。

そこに目を付けて、この頃の新宿は竹の子族・竹の子予備軍をターゲットにしたディスコが続々オープンし、この店もそのひとつ。

 

「ハローホリデイ」 ハロホリ このカードは泣く子も黙る「ハローホリデイ」

選曲は他では逆立ちしてもかからないようなキャンディーポップのオンパレードで、恋のペントハウス・ジングルジャングルジョー。夢のシンガポール・レイオールユアラブオンミー等、数多くの竹の子全盛期~末期の名曲がここから流行しました。

 

「B&B」 BB ハロホリが竹の子ディスコなら、こちらはその対極にあったサーファーディスコの代表格で、六本木に奪われた感のあった80年代のディスコ界において、新宿で唯一メジャーなディスコでした。

店内ではガラムやベントール等のインドネシアのタバコの臭い+ムスクの臭いが充満し、「南国」の雰囲気がたっぷりでした。

 

「シャンバラ」 シャンバラ このディスコのカードは「全く記憶にございません」箱です。

マイナーディスコの代名詞、シャンバラ。

同時期にシャンゼリゼというディスコもあって、混同しました。

1回ぐらいは足を運んだかもしれませんが、2件とも印象に残ってないディスコで、どこにあったかも全く覚えてません。

 

「スタジオワン」 STUDIO2 新宿のディスコの紹介が続きましたが、このカードは六本木のディスコビル「スクエアビル」にあった「スタジオワン」

プール・もしくはスケートリンクのような、テーブル席から1-2段下がったダンスフロアが印象的。

このカードの頃(1979年)のスクエアビルの他の人気ディスコは、「fou fou」「ネペンタ」「サハラ」といったところ。

 

「ボビーマギー」 MAGGIE これは六本木ロアビル?にあった「マギー」こと「ボビーマギー」

この箱もほとんど記憶がありません。

80年代の六本木のディスコはどこに行っても同じような曲がかかり、客層もサーファーばかりで没個性。

 

「トプカピ」

TOPKAPI 知る人ぞ知るスクエアの地下にあったディスコ、トプカピ(キャステル)のオープン記念カード。

オールVIPルームといった感じのソファーが並べられ、大人の落ち着いたムードたっぷりでした。